今回は宇多津町田町北周辺のおすすめスポットということで圓通寺をご紹介します!
圓通寺
縁起
当山は、今より約700年前宥弘法印が、観世音菩薩の夢告げにより、青の山の東麓観音山に七間四面の本堂並びに伽藍を建立し、聖如意輪観世音菩薩を本尊としてまつられ、青松山観音院圓通寺と称しました。
「全讃史」には、「昔は巨刹なりし」とありますが、やがて戦国の兵火に焼亡し、延宝3年(1675年)中興良意(りょうい)法印 によって、細川頼之公の居城跡と目される現在地に再興され今日に至っています。引用元:圓通寺公式サイトより
細川頼之といえば、室町時代、あの金閣寺を建てたことで有名な足利義満(テストで出ましたよ~覚えてますか~)の育ての親ともいうべき方です。義満さんが幼い時から政治を補佐し、将軍の地位確立、倹約令を制定する等、まさしく当時の政権の中枢に居た方の屋敷がなんで香川に・・・?と思い調べてみたところ、康暦の政変というクーデターにより、領地であった讃岐へ退いたことがあったそうです。この時に彼が詠んだ詩『海南行』は、宇多津町役場から大束川を渡ってすぐの石碑に刻まれています。
人生五十 功無きを愧づ 花木春過ぎて 夏に已中ばなり 満室の蒼蠅 掃えども去り難し起って禅榻を尋ねて 清風に臥せん
「(おおよその口語訳)50年生きてきてこれといった功績もたてられていないことを恥じ入る。花の盛りの春は過ぎ、夏もとうに半ばになっている。部屋いっぱいの青ばえがいくら追い払ってもやってくる。静かに暮らせる禅寺を探しに行こう」
・・・頼之さんの「もう疲れたよ、俺・・・(はぁ)」という声が聞こえてきそうですね。ここでいう青ばえというのはおそらくクーデターの発端となったライバル大名達のことでしょう。彼らとの終わりなき権力争いにうんざりした頼之さんが選んだ「禅榻(=禅寺)」がここ圓通寺ということですね。(※多聞寺ほか諸説あります)
本堂の奥に祀られている如意輪観音さまです。ちなみに如意輪観音さまって六臂(6本の腕)が普通らしいんですが、こちらのご本尊は二臂という全国的にも珍しい如意輪観音さまだそうです。・・・人間の視点で言うと、6本腕がスタンダードっていまいちピンとこないですけど・・・仏さまですからね。あと如意輪観音さまってこの立膝に頬杖のような、ちょっとくつろいだ感じの姿勢がいいですよね(実際は思惟のポーズらしいですが)。厳粛な雰囲気の寺院の中で、ふっと安心すると言いますか。さっきの細川頼之さんのお話も手伝って「まぁ、ゆっくりして行きなよ」とおっしゃってくれているようです。
黒松
山門の【青松山】という扁額の通り、境内には青々とした松の木がたくさん植えられています。こちらは頼之さんお手植えと伝わる黒松で、かつて日本一と讃えられた『圓通寺の松』だったそうですが、松くい虫の被害により平成14年に泣く泣く伐採されたそうです。しかし残された幹を見てもその見事さは十分伝わってきますね。まさに自然の手による芸術品です。
「KBN×まるごと中讃つーしん」コラボ動画
情報を網羅する人気サイト「まるごと・中讃つーしん (まるちゅー:旧 丸亀つーしん)」 と、坂出・宇多津のケーブルテレビ局「KBN」、そして坂出・宇多津のコミュニティFM局の「エフエム・サン」がコラボをして動画内でさらに詳しくご紹介しています!!
「KBN × まるごと中讃つーしん」コラボ動画↓↓↓