「まるがめ婆裟羅まつり」が終了。実行委員解散でダンスや花火大会も変更して開催されるみたい

まるがめ婆裟羅まつり 終了

丸亀市で開催されていた夏の祭り「まるがめ婆裟羅まつり」が終了したことが発表されました。

コロナ前は毎年行われていた祭りですが、実行委員も解散して「まるがめ婆裟羅まつり」自体が終了する運びとなったようです。

概要

丸亀市の夏のイベント「まるがめ婆娑羅まつり」が終了する事が明らかになりました。市は代替として、花火大会の会場を変更して開催すると発表しました。
丸亀市の松永市長が今日の定例会見で明らかにしたものです。まるがめ婆娑羅まつりは、ダンスパフォーマンスや花火大会などが行われ、コロナ前の2019年には、およそ17万人が訪れた夏の丸亀の一大イベントです。しかし、新型コロナによる3年連続の中止に加え、交通渋滞や熱中症対策などコロナ前からの懸案課題の見直し。更に各地で人手不足が深刻化する中で、今回の判断となったということです。

引用元:日テレNEWSより

例年であれば17万人もの人が集まっていた祭りなだけに、今年の開催を楽しみにしていた人も多かったのではないでしょうか。
中止ではなく終了ということで一大イベントが終わってしまったことに寂しさも感じられます。

まるがめ婆裟羅まつりとは

婆娑羅(ばさら)とは
薬師十二神将(じんしょう)の一神で、伐折羅大将・金剛(こんごう)大将とも呼ばれます。
「バサラ」は梵語(ぼんご)(サンスクリット)の「vajra」で、意味は異なりますが金剛や金剛杵(しょ)とも訳されます。金剛はダイアモンドのことで、右手に持つ剣が金剛杵なのです。そのお姿があまりにも際立って異様だったので、鎌倉末期ころから奇をてらい華美をつくす振る舞いや派手な姿をする伊達者(だてもの)も「ばさら(婆娑羅・婆沙羅・婆佐羅・時勢粧)」と呼ばれるようになりました。
今の丸亀市の中心市街地は、江戸時代丸亀藩の城下町でした。この城下町を発展させたのは、藩主の京極氏でした。この京極氏の祖先で「婆娑羅大名」と呼ばれ、脚光を浴びた人物が「佐々木道誉」です。
彼は、室町時代の初期に活躍し、足利尊氏を助け、室町時代を支えた実力者でした。自由・狼藉がまかり通っていた時代に、従来の秩序や権威に対して、果敢に挑戦した道誉を「婆娑羅大名」の代表格としました。まるがめ婆娑羅まつりは、中心市街地が「婆娑羅」の気風を受け継ぎ、再び丸亀の顔として、賑わいのある街になることを期待して、名付けたものです。

引用元:まるがめ婆裟羅まつり公式サイトより

伝統と活気のある丸亀市のイベントとして親しまれてきた「まるがめ婆裟羅まつり」の終了は、中讃地域に住む私たちには寂しいお知らせでしたね。

ですが、ダンスパフォーマンスや花火大会は会場や日時を変更して開催される予定です!
「まるがめ婆裟羅まつり」から残ったイベントの開催を楽しみに待ちましょう。

◇ まるがめ婆裟羅まつり(終了)
開催日時:例年8月
開催場所:丸亀駅前周辺、丸亀城周辺、商店街、みなと公園、丸亀港
関連リンク:まるがめ婆裟羅まつり公式サイト
※開催日時、場所等は記事作成当時のものです。

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