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この記事は2019年9月17日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

「第1回丸亀城現場見学会」に行ってきた。撤去した石垣を見たり触ったりしながら楽しくお勉強してきたよ

石垣の刻印探し

丸亀城の旧城内グラウンドで9月14日(土)、「第1回丸亀城現場見学会」が行われました。
これは、10月末~11月頭から始まる本格的な石垣復旧工事を前に、現状報告を兼ねて丸亀市が企画したイベントです。

参加者の皆さん

参加者の皆さんです。受付を済ませるとヘルメットと資料を渡され、こちらのテントに案内されました。

第1回目の今回は「石垣を学ぶには石材から」というコンセプトで、二次被害防止のために崩落現場から撤去して城内グラウンドに保管している約650個の石垣を実際に見たり触ったりして、参加者の皆さんにその大きさや重さを体感してもらうことを目的としています。

市の担当者さん

・・・と言った説明が、まず市の担当者さんからありました。ん?大きさは見れば分かるけど、重さって?

と思っていると、「石垣は後で自由に持ち上げていただいていいですよ。持てたらの話ですがね。」と担当者さん。

渾身のギャグでした。ちなみに、ここに並べている一番大きい石垣で2トンほどあるそうです。持てるかーい!

場が暖まった(?)ところで、まずは資料をもとに石垣についてのお勉強タイムがありました。

石垣の表面に見えているのは「築石(つきいし)」と呼ばれる花崗岩で、その奥に「栗石(ぐりいし)」と呼ばれる小さめの安山岩を敷き詰めているそうです。築石は手に入りにくいので、本島などから切り出して運んだそうで、中には「刻印」と呼ばれるマークが彫られているものがあるそうです。

それは、担当職人の名前や組、産地などを意味するものだそうで、どうしてそんなことをしたかというと、各地から来ている石垣職人が自分の石の所有権を主張するためだったと考えられているそうですよ。「小学1年生が持ち物全部に名前を書きますよね?あれと同じで、早い話が他人に取られないようにするためです」という例えがとても分かりやすかったです。

石垣の刻印探し

お勉強の後は、参加者全員で実際に刻印がある石垣を探しました。650個のうち、2個に刻印があります。

刻印見っけ

散々探し回った挙げ句、ヒントを貰ってようやく見つけた「田」の刻印。こちらは京極家の家紋を表していると考えられているそうです。

石垣の刻印

こちらは◯が3つ三角に配置された刻印です。

栗石

これは栗石です。栗石は排水機能と緩衝材を兼ねた機構で、石垣を縁の下から支える大事な役割を担っています。石垣に使われている栗石の半分くらいは、二の丸や三の丸の井戸を掘った時に出てきた石を使っているそうです。

そう、羽坂重三郎が沈められた(という伝説がある)あの井戸(二の丸井戸)です。ここにある栗石の中にも羽坂重三郎が掘り出したものがあるのでは、などと空想してみると楽しいですね。

石垣は名人と謳われた羽坂重三郎によるもので城主(生駒親正という説や山崎家治という説がある)に「見事である。この石垣を登れるものはあるまい」と感嘆された。しかし重三郎が「私ならば尺の鉄棒があれば登れます」といって短い鉄の棒を使って登ってしまった。これを見た城主は重三郎が敵と通じることを恐れて嘘の井戸の調査を命じて井戸に埋め殺してしまった。

引用:Wikipedia

崩落現場を間近で見学

刻印探しが終わると丸亀城クイズが出題され、その後は自由見学タイムでした。こうして現場の直ぐ近くまで行って見ることができました。やはり間近で見ると、崩落事故の被害の大きさがよく分かります。

正面に立ってらっしゃるのは、岡山県から参加したご夫婦でした。丸亀城のファンで、現場に入れると聞いて居ても立ってもいられず参加されたとのこと。遠いところからお越しいただきありがとうございました。

参加してみて思ったのですが、プログラム構成などを見た限り、市の思惑ではもっと若い年齢層の参加者を予測していたのではないでしょうか。ですが、実際に参加していたのは、普段からお城を散歩しているようなご年配の方ばかりでした。とてもためになるイベントでしたので、これから丸亀城を守っていくことになる若い皆さんに参加してもらえなかったのは、少し残念でした。

市では今後も現場見学会を行うそうですので、また日程が分かり次第、まるつーでも告知したいと思います!