お願い

この記事は2022年9月22日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

坂出市沙弥島「人麻呂歌碑、柿本人麿碑」万葉の叙情歌人『柿本人麻呂』の歴史に触れる①【動画あり】

坂出市 沙弥島

持統天皇時代の690年頃、讃岐を訪れ歌を詠んだ万葉の歌人「柿本人麻呂」の歴史に触れていきます。美しい景色とロマンと情緒溢れる歴史を直に感じることができる魅力ある沙弥島をご紹介します。

地図だとこちら↓↓↓

柿本人麻呂

柿本人麻呂は、西国に朝廷の使者として赴き、讃岐国の中の水門 (現丸亀市金倉川河口付近) から船出して都へ向かう途中、風波を除けるために狭岑島 (沙弥島) に立ち寄りました。

ここで、たまたま海岸の岩の間に死者を見つけました。

その時詠んだ歌が地元で親しまれる「玉藻よし…」で始まる長歌があります。

人麻呂と坂出の縁がここで生まれ、沙弥島が「万葉の島」とも呼ばれる由縁です。

引用:坂出市観光協会サイトより

沙弥島と和歌について

坂出市沙弥島 ナカンダ浜

沙弥島はかっては坂出港の沖合約4kmに浮かぶ、東西160m、南北930mの小島でした。

昭和42年 (1967年) 番の州埋立事業で陸続きになりましたが、今でも『沙弥島』と呼んでいます。

万葉集の歌聖としてあがめられた柿本人麻呂が詠った島として『万葉の島』ともいわれ、文学愛好者たちも多く訪れる場所となっています。

引用:坂出市観光協会サイトより

人麻呂歌碑

坂出市沙弥島 人麻呂歌碑

人麻呂が沙弥島で詠んだ和歌 (長歌・反歌二首) が刻まれた碑、サヌカイトでつくられており、横幅が約4mとかなり大きな歌碑です。美しい瀬戸大橋と歌碑に詠まれた歌の心情との対比が印象的でした。

柿本人麻呂は、文武天皇の御代 (700年頃)、西国に朝廷からの使者としておもむき、讃岐の国、中の水門 (みなと) -丸亀市金倉川口付近を船出して都へ向かう途中、風波をさけるために狭岑島 (沙弥島) に寄りました。

岩場にはすでに息絶えた死者・・・。そんな姿を見た人麻呂が、死者への悼みと死者の帰りを待つであろう妻子への思いを和歌に詠みました。

柿本人麿碑

坂出市沙弥島 柿本人麿碑

坂出市沙弥島 柿本人麿碑

「柿本人麿碑」は、柿本人麻呂の詠んだ和歌の心を後世に伝えるため、坂出出身の作家中河与一氏が昭和11年に建立しました。瀬戸内海の優しい波打つ音が心地よく、柿本人麿碑の足元まで海が満ちてくる為、時間帯によっては足元に小魚が泳ぐ姿が見られます。

ナカンダ浜

坂出市沙弥島 ナカンダ浜

ナカンダ浜では、縄文式土器、サヌカイト製石器が出土し、製塩に使用されたと考えられる古填時代前~後期 (4~7世紀) の師楽式製塩土器も出土しています。 また島の南側、番の州埋立地に最も近い権現山 (28m) の西端に、古墳時代中期頃の方墳千人塚があり、その付近には9基にのぼる古墳が群集しています。県指定の史跡で、沙弥島の出身といわれる理源大師聖宝 (839年~909年) の母の墓とこの島では伝わっています。聖宝は東密小野流の祖で、京都醍醐寺を開いた名僧です。
ほかにも沙弥島にはいくつかの横穴式石室墳がありますが、そのうちナカンダ浜の西の山にある白石古墳は,昔の姿を残しています。眼下に古代製塩遺跡ナカンダ浜を見下ろし、須恵器・金環などこの浜から出土する師楽式土器が副葬されていた点は注目です。

引用:坂出市観光協会サイトより

場所

坂出市沙弥島 場所

バスでお越しの方は、JR坂出駅から坂出市営バスで約15分、沙弥島万葉会館のバス停を下車し、歩いて5分程度です。

※2017年4月より沙弥島ナカンダ浜等でのバーベキューや花火、焚き火等火器の使用は禁止されております。また、運動会、競技会、展示会などナカンダ浜を全部、もしくは一部を独占して使用する場合は許可が必要です。

「KBN×まるごと中讃つーしん」コラボ動画

情報を網羅する人気サイト「まるごと・中讃つーしん (まるつー:旧 丸亀つーしん)」 と、坂出・宇多津のケーブルテレビ局「KBN」、そして坂出・宇多津のコミュニティFM局の「エフエム・サン」がコラボをして動画内でさらに詳しくご紹介しています!!

「KBN × まるごと中讃つーしん」コラボ動画↓↓↓

美しい景色と坂出の歴史に触れられる沙弥島、小さな小島に多くの魅力が詰まった場所です。瀬戸内海の優しい波音とともに歴史散策を楽しんでみて下さい。

◇ 沙弥島

所在地:〒762-0066 香川県坂出市沙弥島

お問い合わせ:坂出市産業観光課 0877-44-5103

駐車場:なし

関連リンク:坂出市観光協会