コレラ地蔵にコロナが感染拡大しないようお願いしてきた

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丸亀市内の工場内作業の金属加工、部品組立等のお仕事です。18万〜25万 休日105日(年)各種保険手当あり、未経験OKです。
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垂水町行時の県道46号長尾丸亀線沿いに「土器川生物公園」の駐車場がありますが、その隣の墓地にコレラ地蔵というお地蔵さんがあります。

コレラ地蔵

こちらがそのコレラ地蔵。やさしいお顔のお地蔵さんです。

コレラ地蔵 案内板

横の案内板によると、明治15(1882)年2月に、明治12(1879)年のコレラ大流行で亡くなった多くの患者を供養するために、村が建てたものだそうです。

その明治12年のコレラは、丸亀では3月から流行り始め、6月には小学校が一斉に休校、「多人数雑踏の儀」(人が集まるイベント)を全て差し止めるなどして、10月にようやく患者が減り始め、翌年に入ってようやく消滅したそうです(金刀比羅宮や善通寺など、人が多く集まる場所ある仲多度郡は、特に患者の数が多かったようです)。
こうしてみると、伝染病の対策は今も昔も変わりない部分が多いんですね。

平成14年刊行の「丸亀市医師会史」には、若い妊婦がコレラにかかった時「子どもがもうすぐ生まれるから、子どもだけでも助けてください」と頼むも聞き入れられず、母子ともども焼き殺されたと言う悲しい逸話も記載されています。予防や治療の知識に乏しい昔の人は、あらぬ噂を信じて焼くしか無かったのでしょうか。
今もデマに惑わされて独善的な行為に走る人を見ていると、人間が扱う技術や道具は進歩しても、人間そのものはたいして進歩していないように思えます。
・・・と、昔「丸亀市医師会史」に自分が書いた文章をそのまま使い回しているY口@まるつーも、ほとんど進歩していません。

コレラ地蔵

丸亀市医師会史より

当時(20年近く前)にY口@まるつーが撮ったコレラ地蔵の画像です。今のように看板もなく、鬱蒼と木々が生い茂った墓地でしたので、コレラ地蔵を探すのに苦労しました。上の現在の画像と比べても、周辺の環境の違いが一目瞭然ですね。

コレラ地蔵 全景

かつては荒れ放題だったコレラ地蔵も、今は綺麗に整備され、お花も供えられていました。
このコロナ騒動が早く落ち着くようにと願いつつ、そっと手を合わせてきました。

場所

地図だとこちらです。↓↓↓

コレラ地蔵 南側

コレラ地蔵の横には、「土器川生物公園」の広い駐車場が整備されています。20年前は車を置く場所に苦労しましたが、今は好きなところに停められます。

土器川生物公園 出入口

駐車場の入口はこんな感じです。

コメント

4件のコメント
このコメントは投稿者によって削除されました
2020-03-05 20:51
このコメントは投稿者によって削除されました
2020-03-05 20:52
教えて頂きありがとうございました。
ちょっとお祈りしてきます。
2020-03-07 02:34
このお話は以前から知っていました。初めて主人から聞いた時はショックでした。車で通る時も一瞬手を合わしています。85歳の母は子どもの頃伝染病になると村の外れの小屋に治るまで入れられたそうです。早く終息する事を願います。思いはみんな一緒。不安なんです。自分を見失わないようにしたいです
2020-03-08 20:21

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この記事を書いた人
ライターY口@まるつー 編集長
高松生まれ丸亀育ちの、純粋培養された香川県民です。そしてこのまま香川で朽ち果てる予定。