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この記事は2020年3月5日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

コレラ地蔵にコロナが感染拡大しないようお願いしてきた

垂水町行時の県道46号長尾丸亀線沿いに「土器川生物公園」の駐車場がありますが、その隣の墓地にコレラ地蔵というお地蔵さんがあります。

コレラ地蔵

こちらがそのコレラ地蔵。やさしいお顔のお地蔵さんです。

コレラ地蔵 案内板

横の案内板によると、明治15(1882)年2月に、明治12(1879)年のコレラ大流行で亡くなった多くの患者を供養するために、村が建てたものだそうです。

その明治12年のコレラは、丸亀では3月から流行り始め、6月には小学校が一斉に休校、「多人数雑踏の儀」(人が集まるイベント)を全て差し止めるなどして、10月にようやく患者が減り始め、翌年に入ってようやく消滅したそうです(金刀比羅宮や善通寺など、人が多く集まる場所ある仲多度郡は、特に患者の数が多かったようです)。
こうしてみると、伝染病の対策は今も昔も変わりない部分が多いんですね。

平成14年刊行の「丸亀市医師会史」には、若い妊婦がコレラにかかった時「子どもがもうすぐ生まれるから、子どもだけでも助けてください」と頼むも聞き入れられず、母子ともども焼き殺されたと言う悲しい逸話も記載されています。予防や治療の知識に乏しい昔の人は、あらぬ噂を信じて焼くしか無かったのでしょうか。
今もデマに惑わされて独善的な行為に走る人を見ていると、人間が扱う技術や道具は進歩しても、人間そのものはたいして進歩していないように思えます。
・・・と、昔「丸亀市医師会史」に自分が書いた文章をそのまま使い回しているY口@まるつーも、ほとんど進歩していません。

コレラ地蔵

丸亀市医師会史より

当時(20年近く前)にY口@まるつーが撮ったコレラ地蔵の画像です。今のように看板もなく、鬱蒼と木々が生い茂った墓地でしたので、コレラ地蔵を探すのに苦労しました。上の現在の画像と比べても、周辺の環境の違いが一目瞭然ですね。

コレラ地蔵 全景

かつては荒れ放題だったコレラ地蔵も、今は綺麗に整備され、お花も供えられていました。
このコロナ騒動が早く落ち着くようにと願いつつ、そっと手を合わせてきました。

場所

地図だとこちらです。↓↓↓

コレラ地蔵 南側

コレラ地蔵の横には、「土器川生物公園」の広い駐車場が整備されています。20年前は車を置く場所に苦労しましたが、今は好きなところに停められます。

土器川生物公園 出入口

駐車場の入口はこんな感じです。