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この記事は2020年3月31日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

【追記あり】「クラボウ丸亀工場」が3月31日で閉鎖。跡地は更地化するみたい

塩屋町にある「クラボウ丸亀工場」が3月31日(火)で閉鎖するそうです。
昭和初期から令和に至るまで、90年間この地で稼働し続けたクラボウ丸亀工場の歴史を、この機会に振り返ってみたいと思います。

空から見た工場周辺の変遷

1947(昭和22)年

クラボウ丸亀工場 1947年

国土地理院 航空写真より

蓬莱町一帯や外浜団地の辺りまで、広大な塩田が広がっていますね。
当時女学校だった藤井高校の運動場に池があったことが分かります。ここで漕艇部が練習していたそうですよ。

1975(昭和50)年

クラボウ丸亀工場 1975年

国土地理院 航空写真より

昭和46年に蓬莱塩田が閉鎖され、なーんにも無くなった広大な敷地に、現在の「丸亀パブリックゴルフコース」と「GU」の間の道路が1本スコーンと通っていますね。

1980(昭和55)年

クラボウ丸亀工場 1980年

国土地理院 航空写真より

この5年の間に運河が埋め立てられて、現在の塩屋町緑地公園になっています。運河跡の横には現在の浜街道もできていますが、京極大橋はまだありません。蓬莱塩田の跡地にはパブリックのゴルフ場ができています。城西ポンプ場の横に「パワーシティ丸亀」ができるのは1995(平成7)年なので、そこもまだ更地の状態ですね。

2020(令和2)年

こうして見ると、クラボウの工場自体は70年以上前とほとんど変わっていませんね!
1970年代までは、向かいの蓬莱塩田(現在の蓬莱町)との間に運河があり、クラボウまで繋がっていたのがハッキリ分かります。
現在の消防団第4分団屯所の南側に架かっていた橋は跳ね上げ式の可動橋で、地元では「ゴットン橋」などと呼ばれていたそうです。

【4月1日 追記】
まるつー伝言板にいただいた情報によると、「ゴットン橋」とはこの橋のことではなく、現在の「喫茶ボヌール」から浜街道へ抜ける緑地公園内の小径あたりに架かっていた旋回橋のことなのだそうです。

クラボウ丸亀工場前の可動橋

1970年代

クラボウ前の可動橋

山岡博さん提供画像

この運河の奥がクラボウ丸亀工場の入口になります。
正面の白い車が渡っているのが可動橋で、クラボウへ船が入る時は橋が跳ね上がります。
この運河は船が1隻通るのがギリギリの幅だったそうで、地元のお年寄りにお話を聞いたところ、「船腹を堤防にゴリゴリ擦りもってクラボウに入って行っきょった」のだとか。

2020年3月31日

クラボウ前 運河跡地

だいたい同じ場所から撮った現在の様子です。突き当りの黄色と黒のガードレールがある手前辺りに可動橋が架かっていました。ここを船が通過していたのですねえ。

クラボウ前 堤防のなれのはて

周辺をよく見ると、運河だった頃の堤防が、現在も民家の塀として使われています。

クラボウ丸亀工場の外観(2020年3月)

クラボウ丸亀工場入口

クラボウ丸亀工場最後の日の様子。桜が綺麗に咲き誇っていました。

クラボウ丸亀工場 北側の壁

工場北側の塀。奥に見えるのは藤井高校です。

クラボウ丸亀工場 西側の壁

工場西側の塀と古そうな建物。中がどうなっているのか気になりますが、見学や撮影等はNGとのことでした。

クラボウ丸亀工場 壁の向こう

背伸びして塀の向こうを見たら、レンガ造りのレトロな建物が。雰囲気ありますね。

クラボウ丸亀工場 謎敷地

工場南側の謎の広大な敷地です。古い航空写真を見ると、ここにも何かしらの建物があったことが分かりますが、私の子供の頃の記憶では、ずっと密林状態のデンジャラスな場所でした。最近は、このように木や草が綺麗に刈り取られています。

クラボウ丸亀工場の歴史

ここで簡単にではありますが、クラボウ丸亀工場の歴史を紹介しておきます。
元々この工場は、1930(昭和5)年、倉敷紡績の関連会社として設立された三豊紡績の第2工場として産声を上げました。その後1933(昭和8)年、三豊紡績との合併により、倉敷紡績の工場となります。
第2次世界大戦中も軍需工場化すること無く紡績工場として稼働し続けたため、戦後はいち早くアメリカからの輸入綿を仕入れて操業を続けることができたそうです。
近年の丸亀工場では、主に「差別化原糸」を製造していました。これはニットやタオルなどに使われる付加価値の付いた糸で、丸亀工場でしか作っていなかったそうです。その他に、「定番糸」と呼ばれる、その名の通り定番の糸も作っていたそうです。

閉鎖後のクラボウ丸亀工場は?

報道によると、1月現在の従業員は83人いらっしゃるそうですが、こちらは他工場へ配置転換されるそう。
丸亀工場で生産していた「差別化原糸」は愛知県の安城工場に、「定番糸」はタイやインドネシアなどの工場に、それぞれ製造を移管するそうです。

そして気になるレトロな建物群ですが、クラボウ本社の総務部広報グループに確認したところ、工場閉鎖後は全部解体して更地化し、それから活用方法を検討する」とのことでした。
またひとつ、丸亀の近現代の特徴的な建造物が消えることになりそうですね。
レンガ造りで雰囲気のある建物なので、残して活用した方が良さそうにも思えますが、古い建物なので維持コストも相当なものなのでしょう。

解体がいつ始まるのかは分かりませんが、やがて無くなるのは確実なようですので、興味がる方は名残を惜しみながら周辺をぶらぶら散策してみるのも良いかもしれませんね。

【4月1日 追記】
まるつー伝言板にいただいたコメントによると、厳密には3月31日操業停止、4月20日工場閉鎖なのだそうです。
報道各社が3月31日閉鎖という表現で報じていましたので、記事内でもそちらに倣って表記を合わせています。
ということで、少なくとも4月20日までは人がいて、残務処理的なことをしているのではないかと思われます。

場所

地図だとこちらです。↓↓↓

住所は、丸亀市塩屋町1丁目8−1です。