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この記事は2020年4月27日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

金倉町の「れんげ街道」にレンゲが1本も咲いてない。レンゲはどこへ?

かつて4~5月頃の田んぼには、一面にレンゲの花が咲いていたものですが、最近はあまり見かけなくなりましたね。
アラフィフの私が子どもの頃は、レンゲ畑のレンゲの花を次々と摘み取り、蜜をチューチュー吸っていたものです。今と違って野良犬やら何やら“ばっちい”生き物がいっぱいウロウロしていたのに、あの頃はその辺に生えているものを平気で口にしていましたね。振り返ってみると恐ろしいことです。

消えたれんげ街道

レンゲと言えば、「ゆめタウン丸亀」北西の交差点から西へ伸びる県道205号多度津丸亀線バイパスが、かつて「れんげ街道」と呼ばれていたのを、皆さん覚えているでしょうか?
れんげ街道と名乗るくらいですから、道の両側の田んぼには、春になると一面にレンゲの花が咲いていました。確か現在「ファミリーマート丸亀金倉町店」がある付近に、れんげ街道と書かれた木の看板も設置されていました。
そして、春にはレンゲ畑の中で「れんげ祭り」も行われていました。隣の席で記事を書いていたsai@まるつーにこの話をすると、「知ってますよ! 私、小学生の頃に3年くらいれんげ祭りに参加して、ジュースの売り子とかしてましたよ!」と懐かしそうに話していました。
ですが、いつの間にかれんげ祭りをやらなくなり、あの道をれんげ街道と呼ぶ人も少なくなり、主役だったレンゲも、今は1本も生えていません。

レンゲを植えていた理由

冒頭でも書きましたが、レンゲはれんげ街道に限らず、昔はあちこちの田植え前の田んぼに生えていました。
正確には、生えていたのではなく、農家のみなさんが肥料として植えていたそうです。

レンゲソウは、田んぼを管理している農家が、前の年の秋ごろに、わざわざ種子をまいたものなんだよ。でも、どうしてレンゲソウを田んぼにまくんだろう。
レンゲソウにはね、土を肥やす効果があるんだよ。だから、稲を植え付ける前にレンゲソウを作っておいて、土の肥料分を増やしておくんだ。これを「緑肥(りょくひ)」というよ。
レンゲソウは、根っこのところどころにある「根粒」というこぶに「根粒菌」という細菌をすまわせ、根粒菌から養分をもらっているんだ。根粒菌には、空気中の窒素を植物の使える形に変える特別な能力があるよ。

引用:JA福岡中央会公式サイト

レンゲ畑が無くなった理由

丸亀だけでなく、レンゲ畑は全国的に消えています。それには、以下のような原因があるそうです。

  • そもそも宅地化などで田んぼが消えた
  • 田植えの時期が早くなった
  • 安価な化学肥料が普及した
  • レンゲを食べる外来種の害虫が出現した

これらに加えて、香川では春に麦作をする農家が増えていることもあるようです。
れんげ街道付近のとある農家で聞いてみたところ、「別に植えてもええんやけど、レンゲの種も高いきんなあ・・・」とのことでした。
金倉保育所の近くでは、近年まで1面だけレンゲ畑を残して幼児が遊べるようにしていましたが、それも今はやってないそうです。

れんげ街道が生まれた経緯は?

地元の方に聞いたところ、丸亀市の環境保全型農業基本方針に基づいて平成8年度に発足した取り組みだそうで、当初は「れんげロード」と名付けていたそうです。
それがいつ「れんげ街道」になり、いつ終わったのかは皆さんあまり覚えてなくて、「ゆめタウンができた頃にはレンゲ植えるんもやめてたし、れんげ街道と言う人も減ってた」と近所で畑仕事をしていたおばあちゃんは語っていました。ちなみにゆめタウン丸亀がオープンしたのは2008年ですので、10年以上も前の話になりますね。

れんげ祭りとは

かつてれんげ街道沿いでれんげ祭りをしていたのは、金倉町の荒(あれ)という地区です。ですので、祭りの正式名称は「荒れんげ祭り」です。
祭りが始まった発端は、1997(平成9)年の丸亀城築城400年を記念する事業の一環だったとのこと。それから2002(平成14)年まで、6年間開催していたそうです。

プログラム(平成9年)

荒れんげ祭り プログラム

第1回荒れんげ祭りのプログラムを入手したので、ご紹介します。
後に農機具メーカによる農機具の展示などもするようになったそうです。

祭りの様子(平成11、12年)

荒れんげ祭りの実行委員だった方から写真をお借りしましたので、数点ご紹介いたします。

荒れんげ祭り リンゴの早剥き大会

こちらはリンゴの皮の早剥き大会です。皆さん剥き方が綺麗ですね!

荒れんげ祭り 獅子舞

勇壮な獅子舞の様子。太鼓の下から覗き込んでいる少年も、今では同じくらいの子どもがいてもおかしくない年齢になっているはず。

荒れんげ祭り 玉入れ大会

レンゲの花を踏みにじりながらの玉入れです。農家の皆さんにとっては肥やしとして植えているものなので、これで何ら問題はありません。

れんげ街道の今

以前設置していたれんげ街道の木の看板は、だいぶ昔に撤去された様子。いつ誰が撤去したのかは、私が聞いた中で覚えている人はいらっしゃいませんでした。

れんげ街道 ふれあいセンター

こちらはsai@まるつーが見つけてきた物件。もう使われていない(と思われる)「れんげ街道 ふれあいセンター」という荒れ果てた建物に、わずかにその名を残しています。雑草化したアロエが毒々しいですね。体に良い植物のはずなのに。

昔と今のれんげ街道を、同じ場所から撮った画像で比較してみると・・・

1999年4月

れんげ街道 1999年

2020年4月

れんげ街道 2020年

21年前はレンゲを緑肥として育て、田植え前に一緒に耕していた田んぼに、今は麦を植えていました。
そして以前は三叉路だったれんげ街道の奥には県道が延伸していて、両サイドに「ゆめタウン」や「EDION」がデーンと建っています。写っている同級生の家も建て替わっているし、街路樹の幹も随分太くなっていますね。そんなところにも年月を感じます。

続いて、違う画像で比較してみましょう。

1999年4月

荒れんげ祭り 宝探し

2020年4月

2020年の荒地区の様子

だいたい同じ角度から見た風景ですが、21年前に老若男女が宝探しをしていた田んぼにはアパートが建っていて、向こう側が見えなくなっています。

荒地区から飯野山方面を望む

アパートの東側に出てきました。飯野山は見えますが、真横に以前はなかった「ゆめタウン」が見えます。そして、田んぼにレンゲは見当たりません。

レンゲはどこに?

じゃあ、レンゲはどこへ行けば見れるんだ?という話ですが、郡家町の領家・重元地区では毎年れんげ祭りを開催していて(今年はコロナで中止)、今でも田んぼにレンゲを植えています。

郡家町 領家重元 レンゲ

領家・重元地区に行ってみました。レンゲ祭りが行われるこの辺りは、毎年一面のレンゲ畑なのですが、今年は新型コロナウイルスの影響で早々に祭りの中止が決定したので、農家の皆さんもさっさと田んぼを耕してしまってました。隅の方に少しだけ健気に咲いていましたので、飯野山と一緒に撮影。

郡家町 レンゲ畑

近くに1面だけ、めっちゃレンゲが咲いてる田んぼがありました。

郡家のレンゲ

こちらは同じ郡家町内でもちょっと北寄りの場所です。郡家町内にレンゲがたくさん残っているのは、やはりグンゲとレンゲのダジャレを意識しているからでしょうか。そう言えば、レンゲの正式名称はゲンゲだそうですが、「ゲンゲ」「グンゲ」とカタカナで書いて並べると、パッと見同じですもんね!(ツッコミ待ち)

れんげ街道の場所